上下の綾門 関の戸もささぬ 納まとる御代の しるしさらめ
(首里城に通じる守礼門と中山門は、関所でありながらその鍵は開いたままである。まさに王国が安寧であることの象徴である)
拝でのかれらぬ 首里天ぎゃなし 遊でのかれらぬ 御茶屋御殿
(いつまでも拝んでいたいのは首里国王様であり、いつまでも居心地がよく素晴らしい空間は、御茶屋御殿である)
琉球王国時代に構築された「琉歌」(りゅうか)は、「八・八・八・六」字に人々の「想い」(うむい)が込められている文学である。この琉歌は、琉球古典音楽「ヂャンナ節」と「茶屋節」で演奏され、いずれも私が好きな琉歌である。
約 500 年間続いた琉球王国は特に第二尚氏時代、経済・文化・外交は飛躍的な進化を遂げ、まさに王国に相応しい豊かな国家が形成された。その本丸が首里城を中心とした、首里の街全体なのである。独自の気候や風土は様々な文化芸術を生み出し、「食」や「酒」そして「芸能」は連綿と現代まで受け継がれている。それらが 2019 年「日本遺産」の認定に繋がっている。
その同年、首里の玄関口首里山川交差点に突如、圧倒的な存在感を醸し出す建造物が現れた。その建造物と中山門は 1 本の「道」で繋がっており、首里の街空間に入るための「関所」にも感じる。その後 2022 年「新生 ギャラリー首里テラス」として再出発をしてからは、様々な取り組みが発信されており、知る人ぞ知る空間として構築されつつある。
琉球王国時代、芸能は首里城郭内や王府別邸(世界遺産「識名園」)、迎賓館(御茶屋御殿)などで上演されており、宮廷芸能としてステイタスの高いものであった。これらは琉球だけに限らず、世界中において「文化芸術=ホンモノ」は高貴であり、大切に受け継がれている。
更に先人たちは「うとぅいむち」(おもてなし)の精神に基づく、決して武力ではない文化芸術を外交のツールとしていた。
それらを踏まえ、現代人は次世代にどのように「ホンモノのカタチ」を伝えて行くかが重要なミッションなのである。
館長就任にあたり、「“新”御茶屋御殿構想」を掲げることとした。琉球王国時代、首里崎山町にあった御茶屋御殿は迎賓館的な役割であるとともに、茶道、芸能など様々な文化芸術について研究が行われた空間である。ギャラリー首里テラスの革新的な空間に、様々な「ホンモノ」を融合させることにより、かつてない空間=新御茶屋御殿として琉球王国時代の気候や風土を再び現代に甦らせることができるのではないかと考える。
2023 年 6 月 1 日
ギャラリー首里テラス
館長 山内 昌也
(公立大学法人沖縄県立芸術大学教授)